記録:ツアー型演劇『地中の羽化、百億の波の果て』

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体験型ツアー演劇『地中の羽化、百億の波の果て』は、しらみずアーツキャンプのリサーチ班である寺澤亜彩加と藤城光が作・演出を手がけたツアー型演劇作品です。

15名の参加者は、マイクロバスに乗り、沿岸部の津波被災地や、常磐炭田の遺構、産炭地・白水地区を巡り、様々な場所で繰り広げられるパフォーマンスを目の当たりにしながら、現実と虚構とを行き来します。劇の終わりまでに要する時間は、なんと10時間。

悲劇と喜劇、生と死、様々なものが巡るような時間に没入し、この地の「真実」に近づいていきました。

 

ツアー参加者は、バスに乗車すると、劇のタイトルが書かれ丁寧に折られた紙を手渡されます。中を開くと「おしながき」と書かれていて、地名や古跡の名前が書かれています。これが、今回のツアーで巡る場所。その場所場所で劇が繰り広げられていくのです。演劇のプログラムでもあり、行き先を示すガイドであり、手引きでもある。参加者は、この紙を身に携え、15の場所を巡りました。

 


地中の羽化、百億の波の果て

私は、ある日、絶命した。
そして、地中で長い時間をかけて、石炭となった。
石炭となった植物と炭鉱とともに生きた坑夫たち。
今宵、私たちは、供養のために踊るのだ。


 

 


おしながき

うみ
四千万年前の渚
郵便局
旧白水小学校
かわ
ライオン岩
禮子さん
薬師様
山神祭
入山長屋
胡桃下稲荷
八角堂
闇黒坑道
みろく沢
やっちき


 

一行は、東日本大震災で被災し、多くの被災者を出した沿岸の町、薄磯を目指します。海岸へ降り、手渡されたヘルメットに海水を入れ、バスに戻ります。浜辺では、犠牲者を弔うように、鉦と太鼓を鳴らしている女二人と歌を歌う行者のような男が一人。彼が歌うその歌は「ヤッチキ」の歌を少しゆっくりとさせたようなものであり、お経のようでもありました。犠牲を弔っていたのでしょうか。

 

薄磯から一挙、山を目指す一行。向かう先は、内郷白水町の最奥の川沿いの場所でした。そこには白い服を着た男女が横たわっており、先ほど取ってきた海水を彼らに静かにかけていきます。すると、彼らは目を覚まし、自分たちは「メタセコイア」だと名乗ります。

メタセコイアは、常磐炭田の石炭のいわば原料とも言える木です。石炭は、メタセコイアの倒木が海底に沈み、何千年、何万年と言う時間をかけて圧縮されて形成されます。つまり、石炭が採掘される場所は、かつては海だった場所ということです。沿岸から採取した海水をかけることで、メタセコイアたちは、時間を遡るようにして命を吹き込まれ、再びその命を取り戻しました。

この場面で、いわきの海とヤマがつながり、メタセコイアが生き返ることで、四千万年前の時間が現代に蘇ってくるのです。

 

一見炭坑とはかかわりのないように見える海。ツアーはここから始まった

 

次の目的地、「郵便局」は、実際の郵便局ではなく、通り沿いの空き地に置かれた椅子に座った、とある女性から手紙を託されるという場面でした。真っ黒に手を染めた女性。彼女もまた、これから石炭になろうとしている存在なのかもしれません。

 

旧白水小学校にやってくると、参加者は軽い昼食の時間。飯場の女に扮した女性が、おにぎりと豚汁を振る舞います。外では、先ほど「羽化」したメタセコイヤたちが、体いっぱいに光を浴びて光合成をし、成長していく様が演じられていました。どうやらメタセコイヤたちは、こうして成長しながら、ツアー参加者の旅に同行してくれるようです。中庭には、入れ墨を彫った男性が、酒を飲みながらうなだれていました。彼もまた、何かの象徴かもしれません。

 

かわ、は、学校の裏手にありました。水深が浅く、水底がコンクリートで舗装されているため、車のまま渡ることができることから「洗い越し」と呼ばれるその場所。傍らには毎春美しい桜を咲かせる桜の木があり、そこに、複数の登場人物が座り、太鼓や鉦を鳴らしています。

ここでこの町自体であるような「まち」という少女が登場します。

この白水川は、地元のシンボルであり、かつてはこの川縁から石炭が採掘されていました。選炭工場からは排水が流され、川の水は真っ黒に濁っていたそうです。川は、やがて大海に注ぎ込むもの。海と山とをつなぐものでもあります。寄せては返す海とは異なり、川上から川下へ、一方的に流れる川は、逆らうことのできないこの時間の流れを表しているようにも思えます。

 

登場人物一人一人が何かを示唆しているようだ。

 

途中、作業服を着た男性が、一人、やって来て参加者一行に加わりました。その男性は、おそらくは炭鉱労働者。参加者は、ツルハシやランプ、ハンマーなどの工具を持たされ、旧産炭地へと歩いて向かいます。

その途中にあるライオン岩は、白水地区のシンボル・高倉山にそびえる巨岩。東日本大震災で崩れてしまいましたが、かつては、山頂に獅子が鎮座するようなその姿がよく知られていました。高倉山には、いくつも坑口が掘られました。その坑口からは、海の方向に向かって斜め下方向に坑道が掘られ、石炭が採取されたそうです。山は、故郷を見守る「守り神」でもあります。

耳を澄ますと、また太鼓と鐘の音色。そして、念仏のようにも聞こえるヤッチキの歌が聞こえてきます。ヤッチキは、ほとんどのスポットで歌われます。歌詞をよく聞いてみると、それぞれのスポットの歴史や地元の人たちが歌詞になっています。おそらく、リサーチチームが調査した内容が反映されているのでしょう。歌のようにも、念仏のようにも、地域のおじいちゃん、おばあちゃんが優しく昔話を話しているようにも聞こえるヤッチキ。ヤッチキは、常に参加者の傍らで歌われていきます。

 

通りを歩いていくと、とある女性の家の前にたどり着きました。すると、ご高齢の女性と、友人たちが威勢良くヤッチキを歌い出しました。きっと、真ん中で歌を歌う女性が、禮子さんなのかもしれません。時を同じくして、道の奥の方からも、明治時代の頃でしょうか、古い衣装に身を包んだ男性たちが威勢良く歩いてきて、女性の家の前でヤッチキの輪踊りを始めました。

おそらく、常磐炭田が栄えた頃は、こんな風に威勢良くいろんなところでヤッチキが踊られていたのでしょう。タイムスリップするような感覚に襲われた参加者も多かったはずです。実際、この地区の人たちは、炭鉱労働にゆかりのある人ばかり。ヤッチキを歌ってくれたお母さんたちもきっと、この通りで、ヤッチキを踊ったことがあるのかもしれません。

 

ヤッチキが踊られる風景がよみがえった。

 

薬師様、山神様、二つの場所でも、行者がヤッチキを高らかに歌い上げます。危険な労働の伴う炭鉱。薬師様は、この地で犠牲になった人たちを静かに見守り、山神様は、山の恵みとしての石炭を与えながら、労働者たちの生活を力強く支えていたはずです。今では少し時代を感じさせる場所になっていますが、紛れもなく、ここに膨大な数の生と死があったことを、薬師様と山神様は私たちに教えてくれるようでした。

二つの場所は、両方とも、少し高い場所にあり、地区を見下ろすことができます。当時の景色は想像することしかできませんが、平地に並んだ長屋や、通りを走る汽車の姿が思い浮かぶようでした。

 

入山長屋は、今なお残る炭鉱住宅のバラック。そこで、当時の人たちに扮した演者たちが何人か登場し、相撲を取ったり、参加者にお茶やお菓子を振舞ったり、当時の暮らしぶりを私たちに教えてくれました。演者と観客の垣根が取り払われ、さらに劇の中に没入するかのような体験。そこにふと、地元の人が「何をやっているんだろう」とやって来て、不思議そうにこちらを眺めているのです。参加者たちは、自分は参加者なのではなく、すでに演者の側に回っていることを自覚したに違いありません。

 

参加者は”自分のものではない”名前が書かれたヘルメットを被って白水の街をめぐった。

 

物語は、ここからクライマックスに向かって、死の香りを漂わせるようになります。暗いトンネル、水子の霊場として知られる不動山の八角堂などを巡るからでしょうか。劇中に登場する演者たちも、別れや、別れの悲しみを話すようになります。それは、まるで語り部のようでした。

今までは、どこか、昔懐かしい炭鉱町を旅するようなイメージで進んで来ましたが、ここに至って、産炭地の土の中に眠る悲劇に、光が当たり始まるのです。虚構なのに、どこかに真実味を見出してしまうような演者たちの表現。きっと、彼らの台詞の中に、巧妙に、幾重にも幾重にも虚構を重ねながら、事実が隠されているのでしょう。それを想像し、その悲しみに思い至り、触れ、参加者たちも、より物語に没入していくようでした。

トンネルでは、先ほど学校で見つけた入れ墨の男性が登場します。彼は、石炭を掘り当てたいと言います。石炭があれば、地域を豊かにすることができる。石炭を初めて掘り当てた実在の人物、片寄平蔵かもしれません。

 

最終目的地の「みろく沢」は、常磐炭田で最も最初の石炭が掘り起こされた場所として知られています。旅に同行してくれたメタセコイアたち、労働者たち、手紙を届けくれた女性や、劇中に登場したご婦人たち、皆が集い、最初に石炭が掘り起こされたその場所で、自らの歴史を語り終え、土の中に眠るようにして入っていきます。あたりはもう暗くなっており、空気も冷たくなっていましたが、最後の迫真の演技に、参加者たちは時折涙をすすりながら、劇の行く末を見守っていました。

 

石炭を運び出す汽車が通ったトンネル跡。

 

すると、入れ墨を彫った男性が、そこにやって来てこう叫んだのです。「おーい、石炭だ、石炭があるぞ!」と。

 

彼らは、死んで石炭になったのです。彼らの体は、一様に、黒く塗られていました。メタセコイアたちも、男性も女性も皆、自分を語り終え、土に入り、石炭になる。そしてその石炭たちは、実際に、石炭が初めて見つかったその場所で、入れ墨の男によって発見される。

人が石炭になるというのは虚構ですが、石炭が、単なるエネルギー・鉱物なのではなく、文字通り「生物」の命によって作られたものであることが、最後の最後で示されるのです。

メタセコイアという生物が石炭になった、という意味だけではありません。それを掘り起こす人たちの犠牲の上に初めて成り立つという意味が、ここで再確認できるのです。

そこにトンネルで出会った、坑内の事故で亡くなったという人を引き上げたという男性がバラバラのご遺体を拾い上げ詰め込んだズズタ袋を背負って歩いて来ます。彼は石炭になった彼らとは違う時空で、しかし確かに彼らのすぐそばで、背負いながら、地面を蹴り、原初的な踊りのようなものを踊っています。もう、そうするしかないような、そんな動き。

何千、何万という人の力で、そして決して小さくない犠牲の上で、石炭は掘り起こされ、そして、日本は、近代化と戦後の復興を成し遂げました。そして、私たちの暮らすいわき市もまた、発展して来たのです。

 

エピローグ。登場人物が全て輪になって、火を囲んでヤッチキを踊りました。ある人は笑顔で、ある人は泣きじゃくりながら、「ヤッチキドッコイドッコイナ」と叫ぶ。ヤッチキは、生と死をめぐり、人と植物の間を縫い、いわきの海とヤマをつなぐ踊りだったのです。

劇で示されたヤッチキは、これまで知られていたヤッチキとは異質の、いや、さらにその魅力や文脈を豊かに示すものになっていました。参加者たちは、ヤッチキと石炭をめぐる生と死の物語を、忘れられない思い出として、心の中に深く深く刻んでくれたのではないでしょうか。

 

 


『地中の羽化、百億の波の果て』

作/演出:phyton(寺澤亜彩加 × 藤城光)
出演:荒木知佳、鶴飼美桜、奥萌、キヨスヨネスク、鈴木正也、鈴木卓巳、中畑菜々美、牛島青、田口紗亜未、松本昌弘、松本芽衣
スタッフ:会田勝康、森亮太、山根麻衣子
特別協力:江尻浩二郎、野島美穂、加藤春休、河崎正太郎、坂本雅彦、関根颯姫、萩原宏紀、野島美穂
映像記録:長崎由幹
リサーチチーム:江尻浩二郎、寺澤亜彩加、藤城光
主催:いわき潮目文化共創都市づくり推進実行委員会、いわき市
協力:内郷まちづくり市民会議、いわき芸術文化交流館アリオス、みろく沢炭砿資料館、菩提院


 

(写真:鈴木穣蔵)