いわき潮目劇場では、廿三夜講(にじゅうさんやこう)復活プロジェクトとコラボレーションし、全3回にわたって「潮目」について考える講を開催しています。モデレーターは劇作家の岸井大輔さん。多様なゲストトーカーと、それぞれのテーマに沿って対話していきます。今回はその3回目、大阪市天王寺区にある寺院「應典院」の主幹を務める秋田光軌さんをゲストに迎え、「潮目の寺を呼吸させる」をテーマに考えます。
そもそも廿三夜講というのは、勢至菩薩をお祀りする陰暦23日の月待講です。23日の月の出は24時の少し前で、翌日の昼頃ようやく没することから、特に神秘的なものとされてきたようです。講では、皆で持ち寄ったものを食し、あれこれと語り合いながら月の出を待ちました。いわき市平には廿三夜講に特化した2つの堂宇があり、大正期の勧請から昭和の中頃まで大変な賑わいであったといいます。その廿三夜講を復活させるため、菩提院副住職の霜村真康さん、イタリアンレストラン「La Stanza」オーナーの北林由布子さんらが中心となって「廿三夜講復活プロジェクト」が発足。廿三夜尊堂(いわき市平十五町目)にて不定期に現代の「講」を開催してきました。

まず行われたのが、秋田主幹によるプレゼン。應典院の来歴や現在の取り組みなどを説明頂きました。この應典院、私たちが普段接している寺院とはまったく異なります。一般的な仏事は行われず、1997年より、地域の教育文化の振興を行う寺院として再建され、「気づき、学び、遊び」をコンセプトとした地域ネットワーク型寺院として生まれ変わったというのです。
そこで行われているのは、演劇、ワークショップ、展示、さらにはコンサートやトークショー。まるで「劇場」です。寺院というよりも地域の文化施設として機能しているというわけです。元を辿ればこの應典院は、大蓮寺三世誓誉在慶の隠棲所として1614年に創建された大蓮寺の塔頭寺院だったそう。由緒ある寺院でありながら、地域の文化拠点として再生。既存の檀家制度ではなく、NPO「應典院寺町倶楽部」の会員と協働しながら、各種の事業を展開しているそうです。
秋田主幹は「教育や福祉、芸術は、今でこそ当然のように公共サービスとして提供されますが、少なくとも近世までは、お寺が地域生活の基盤施設としての役割を果たしてきました。だから、むしろ新しい取り組みというより “原点への回帰” と捉えています」と解説します。



興味深いのは、檀家の制度ではなく「NPO」が運営しているという点。「寺院と檀家」という関係ではなく、NPOが入ることで、そこが媒介となり地域に広がりが染み出ていくのでしょう。このスライドのように、OUT と IN をつなぐ存在として「EN(縁)」が入り、その EN が入ることで寺院が活性化していく。ここには厳然たる壁は存在せず、まるで「細胞壁」のように、内側と外側の価値が交換されていきます。
特に、震災後のいわきでは、いかに慰霊するか、いかに震災の記憶を承継していくかという問題が目の前に存在しています。亡くなった人の霊を弔うというとき、寺院は千年以上の歴史と実績がある。その場所が、檀家のためではなく「地域のため」に開かれたとき、寺院本来の役割が取り戻されるような気がします。すなわち「呼吸」です。寺院の中と外が呼吸しあう、地域の中と外が酸素と二酸化炭素を交換しあうような。交換しあうことで循環が生まれ、そこには生態系が生まれるはずです。

應典院は、全国の若手住職たちにも大きな影響を与えている存在。この日の会場には、市内外から僧侶が来場し、興味深そうに秋田主幹の話に頷きあう姿が見られました。廿三夜講復活プロジェクトのメンバーでもある菩提院の霜村さん、さらには平の九品寺の遠藤さん、小名浜の心光寺の宗川さんら、いわきの浄土宗を牽引するであろう若手僧侶たち。そのつながりも今後のいわきに活かされていくはずです。
またこの日は、復活プロジェクトの最終の3回目ということもあり、モデレーターの岸井大輔さんから、いわきで文化活動を行っていくときの「人の関わり」についても問題提起がされました。廿三夜講をはじめ、このような「場」は何を目指すのか。どのように人材を輩出していくのかという問題です。
これについては、会場からも様々な声があがり、「地域に資する人材を輩出することより多様な人が集まれる場のほうが必要だ」とか、「内側よりも外から人がやってくることに期待したい」など意見はさまざま。人をじわじわと教育していく場所を目指すのか、才を持った人が自然と集まるような場を目指すのか、あるいは、既存のコミュニティを攪乱するような場を目指すのか。これからの「潮目劇場」のあり方を考える上でも重要な議論になりました。
この3回目で、2017年度の復活プロジェクトは終了。もともとは別企画である「未来会議分科会」からスタートしたこの企画。来年度は、本来の未来会議分科会として行われるのか、あるいは「潮目劇場」のプログラムとして継続されるかは、まだ決定していません。しかし、形式以前に、月に一度、お堂に集まり、ああでもないこうでもないと語り合う場としての「廿三夜講」は必要とされるはずです。
この日の最後にも数珠繰りが行われましたが、こうして無心に念仏を唱え、故人を弔いながら、地域について、そして文化について月が出るまで語り合う場は、これからも必要になっていくはずです。内と外が対立するのでも遮断されるのでもなく、価値を交換しあう場所、つまり「呼吸する場」としての廿三夜講。来年度の発展も大いに期待したいところです。
報告:潮目文化アーカイブ班 小松 理虔