いわき潮目劇場ではこの度、廿三夜講(にじゅうさんやこう)復活プロジェクトとコラボレーションし、全3回にわたって「潮目」について考える講を開催することとなりました。モデレーターは劇作家の岸井大輔さん。多様なゲストトーカーと、それぞれのテーマに沿って対話していきます。
第二回は11月16日(木)、小名浜の心光寺大師堂で開催されました。岸井さんが市内をリサーチし昨年秋に上演した「龍灯祭文」を軸に、観光家の陸奥賢さん、上演に演者として関わった小松理虔さんと共に、潮目の「龍」について振り返ります。八大龍王巡りとは一体どのようなものなのでしょうか。地元さんけい魚店の極上刺身と福島屋食堂の特製おにぎりに舌鼓を打ちながら、ゆったりと語り合いました。




まずは今年の夏に小松さんが参加した「みちのくアート巡礼キャンプ」(※1)についての話からトークが始まりました。
小松)震災があって、僕たちは目の前の現実に対処しなければならなかったけど、アートはそういうことよりも500年1000年前の歴史に遡ったり、未来に向けて作品を作ったりということをする。「今」が希薄だということにまず驚いた。また、東北では精霊みたいなものが人々の暮らしの中に生きているということが大変に印象的で、死者との対話はずっとあったし、伝説と現実は分断されていない。しかも震災でもう一度それらが力を得てきてる。一方いわきに帰ってくると、放射性物質がとか物理学がとか医学がとかいう話。
岸井)延藤安弘先生が「100年に一度の津波にはハードウエア(建築)で対抗すべきだけど、1000年に一度の津波にはソフトウエア(文化)で対抗すべき」という話をされる。津波の時どこに逃げるか。例えばあそこの神社に行けば助かるという話は残っていて、今回実際に機能した。誰かがなんらかの形でこの知恵を残したということ。今回の震災では1000年後にこの知恵を残す担当者がいない。昔は寺とか長老とかがやってた。死とか、納得できないことと付き合うには、お寺とか文化の力が必要。現代ではそれは芸術だ。しかし震災後、1000年後に残すための文化行為にお金が回ってない。阪神淡路の復興の時に、死者との付き合い方とかコミュニティとかが必要だということになったけど、それを20年やってきた人たちにとっては、今回の震災がある意味本番だった。しかし負けたと思ってる。今日象徴的に言いたいのは防潮堤のこと。海が見えなくなる。みんなが逃げて助かった山が削られている。1000年後どこに逃げるのかというのが分からなくなる。このあたりは我々芸術家の仕事だったけども結局何もできなかった。
陸奥)震災・原発事故後は見たこともない街が出てきた。流されてしまって何も残ってない街。逆に、建物は残ってるけど原発事故で人が一人もいないという街。お墓参りにも行けない。そういうものを踏まえて街を考えなければならない。コミュニティ・ツーリズムは生きているもの同士が話しているだけ。これじゃダメだ。死者とか未来者とか、そういうものと「出会う」観光をしなければならないと思った。
小松)そういうことが、哲学とか思想とかで流行ってるだけじゃなくて、現場でも希求されてるのが面白い。観光って現場に近い。
陸奥)観光は身体から入るということがある。本を読んでも分からない。
小松)理不尽に何千人も亡くなったけど誰も説明してくれない。陸前高田で七夕を復活した人たちの言葉で印象的だったのは、うちの母ちゃんだったらこう言うかもしれない、だからやる、みたいな話。うちの先祖だったらどう考えるんだろうという想像力。陸奥さんがやってるような観光ではこういうことを感じることもできる。たとえば年寄りって死んだ人の話をよくする。動物も意思があるかのように扱う。死者とか他者との関係が息づいてる町っていうのは、こういう大きな喪失があった時の受け止め方が柔らかいのかなと。それで救われる人って多いんだろうなと。

岸井)50年前までは普通に狐に騙されてたけど状況は変わってる。今の人たちは昔の人ほど精霊を信じられない訳で、今の時代に合わせて作り替えないといけない。芸術家は、今の人になんと言えばいいのかを考えなければならない。
小松)震災後、アートが今の人の癒しにしかなってない。それは本当にアートなんですかと。アーティストはまれびと(客人)として死者のメッセージを「翻訳」すべきなんだろうけど、そういう人もいなかったし、そうすると「また津波が来たら大変だから防潮堤を建てましょう」という意見に押されてしまう。
岸井)巨大な防潮堤は、海と人間界に作った万里の長城。そして海側から見ると分かるけども、あれは津波の形をしている。ゴジラを倒すにはメカゴジラ。津波に対抗するにはメカ津波。何かがあったときに同じ形を作って対抗するというのは、大変に日本らしい伝統。この考え方が正しいかどうかはともかくとして、もうできてしまったものだから、いろいろ言ってても仕方ない。僕たちは風景の一部として受け入れなければならない。受け入れるというのは物語化するということ。その時に「メカ津波」というのは割といいんじゃないか。藁で巨大な人形を作って村境に置くみたいなのことが日本中にあるけれど、似たようなこと。
小松)(内陸部の)平の人たちに「地元の味」を訊くと先祖の味だという。小名浜の人に訊くと気仙沼とか、土佐から伝わった味だったりする。空間的に遠くに行く。平の人の北って四倉だけど、小名浜の人に北を聞けばもう気仙沼。南は銚子。つまり海路が意識にある。しかし防潮堤を作ることで海を遮断してしまった。要するに我々の守るものは陸なんだ。海との関りは守らなくていいんだと。なぜ海の恵みで生きてきた人間がああいう選択をしてしまったのかと思う。
岸井)防潮堤の建設を見たくて4年くらい歩いていたら、岬の先に八大龍王碑が多い。ほとんどが堤防の外にあって、順番に回ると海との繋がりがよく分かる。そういうところを周ることを1000年後の津波まで習慣として残せれば、一応仕事をしたことになるんじゃないかと。例えば四国のお遍路は1000年前から周ってる。人間は物語があると周る。いわきでは防潮堤の外を回ることを習慣化する物語がないと1000年後やばいと思う。理論的には無茶がないと思うけど、個人の活動としては無茶があるので(笑)、観光のプロである陸奥さんを呼んで、どうすれば実現できるのかということを訊いてみようと思った。
陸奥)お遍路のキーワードはいろいろあるけど、ひとつは「巡る」という円環構造。どこから始めてもいいし、どこがゴールでもいい。途中からまた続けることもできる。もっと大きいのは「同行二人」で、これは弘法大師が一緒に歩いてくれるという設定。まなざしのデザインみたいなものがある。これがすごく強い。1000年続くと似たような人が過去に歩いている訳で、例えば借金まみれの人が苦しみながら歩いてると、自分と同じような人もいただろうなと気づく。ぐるぐる周っているうちにもう一人の自分と「出会う」。今後もまた同じような人間が出てくるだろう。これに人は引き付けられるし、勇気づけられる。


岸井)無縁大慈悲というのがあるけど、縁もゆかりもない人に出会うということは、逆に考えると、自分に縁もゆかりもない人が会いに来てくれるということ。自分がやっていることを人間は孤独に感じるものだけど、そうではなくて、あなたが他者一般の死を悲しむように、あなたの苦しみを他者一般の人間もちゃんと苦しんでいるのだ、ということ。
陸奥)弘法大師が巡ったというのは嘘。グランドデザインを描いた天才がいる。岸井さんも「えいや」でやらないと。
岸井)「えいや」で書くのと「えいや」でやるのの間には、もうひとつ何かが要る。陸奥さんはやっている人だから、どうなのかなと。
陸奥)それはまあ、僕がやっていったらいい(笑)
岸井)陸奥さんがやるか(笑)
陸奥)磐城八大龍王巡りというのをやればいい。なんぼでも歩きます。歩かないとダメ。
岸井)1週間くらいかけて久之浜から勿来まで歩くか。で、途中見るのは主にスーパー堤防(笑)。ひとつひとつ行っても面白くないけど、周ってるとじわじわ楽しくなってくる。
陸奥)六地蔵、七墓、三十三観音、八十八ケ所とか、5以上なら大丈夫(笑)
小松)最後に(岡倉)天心と出会うのが大事だと思う。
岸井)八大龍王巡りは最後に平潟(茨城県北茨城市)の「八大龍王碑」を見るけど、寄付者に岡倉覚三(天心)の名前がある。天心が持っていた釣船は龍王丸だし、彼が作った「朦朧体」という技法の「朧」という字には「龍」が入っている。今日周っていてたまたま五浦美術館で龍の展覧会をしてたけど、天心はわざわざ八大龍王の絵を描かせて自分の漢詩のようなものも付けてた。他者とか死者とか訳の分からないものに出会うことは必要。なぜならどんなに合理的に生きても全部は分からないから。そういうマインドの人間にこそ、龍とか死者とか他者に出会うのがかえって難しくなってる。そういう時に必要なものの一つがアート。

次回は数日かけて八大龍王を歩こうということになり、トークは一旦お開き。いつものように勢至菩薩様の掛け軸が飾られ、廿三夜尊堂に伝わる大数珠が回されました。

次回の廿三夜講は来年1月28日(日)です。テーマは「潮目の寺を呼吸させる」。大阪から應典院主幹・秋田光軌さんをお迎えし、現代の寺のあり方について考えます。お楽しみに。
※1 ①東北を知る、巡る/②東北から問いを立てる/③それを自分の表現や企画へと発展させる、この3点を主眼とした1か月集中型のワークショップ。対象は、東北で今後なんらかの活動を志すアーティスト、企画者たち。 震災がもたらした亀裂や揺らぎを、まだ見ぬ表現へと繋ぐことを目的としている。芸術公社主催。
レポート:潮目文化アーカイブ班 江尻浩二郎
撮影協力:橋本栄子