レポート:セミナー「まち歩きがまちを変える~コミュニティ・ツーリズムの可能性を探る」

11月15日(水)、いわき産業創造館6Fセミナー室にて、セミナー「まち歩きがまちを変える~コミュニティ・ツーリズムの可能性を探る」が開催されました。今年度私たちは、地域資源を掘り起こし持続可能性の高いコンテンツとして蓄積していく「いわき版コミュニティ・ツーリズム」の立ち上げに挑戦しています。まずは「学ぶ」という考え方から、観光家の陸奥賢さんによるセミナーを企画しました。まち歩きはまちを変えるのか。コミュニティ・ツーリズムの可能性を探ります。

 

陸奥さんが最初に手掛けたコミュニティ・ツーリズム「堺探検クラブ」

 

コミュニティ・ツーリズムとは、マス・ツーリズム(大衆観光)への批判的応対として立ち上がってきたものだと言われています。陸奥さんは簡潔な表現として「地元の人による地元のための観光」という言葉を使いました。マス・ツーリズムである限り、交通や宿泊などは、すべて東京資本に金が落ちるような仕組みでもあります。地元のスーパーで買うのかコンビニで買うのかというような問題でもある訳です。

 

板書されたキーワード。最後まで消されることはなかった。

 

もうひとつのキーワードは「わがまち」。大阪市内だけで300コース作ったという「大阪あそ歩」で陸奥さん自身が最初に手掛けたのは、生まれ育った「わがまち」住吉でした。普通、住吉大社に行くには南海本線「住吉大社」駅か阪堺電車「住吉鳥居前」駅を利用します。しかし陸奥さんは敢えてマイナーな無人駅、阪堺電車「神ノ木」駅から、住吉大社の裏側を巡るツアーを制作しました。開催してみると地元の方にも「知らなかった」「面白い」などと好評だったそうです。

「大阪あそ歩」では必ずコースの地図を作ります。地図にすることで、まちの歴史、面白味、物語が可視化されるのです。「これが最も大切なこと。」と陸奥さんは言いました。まちは日々変化しますが、「大阪あそ歩」では敢えて地図を更新しません。「100年後に評価されると思っています。僕はこの地図を後世に残したい。」と陸奥さん。その時その時の「まち」の記録が残るということが大変な財産なのです。

 

観光庁長官表彰賞を受賞した「大阪あそ歩」について具体的に話す陸奥さん。

 

陸奥さんは「ハードウェア観光」「ソフトウェア観光」「ヒューマンウェア観光」という3つの概念を挙げ、それぞれに「モノ」「物語」「人」と言葉を補った上で、ヒューマンウェア観光の魅力を説きました。

「ガイドはそのまちの代表です。バスガイドは標準語で話しますが、コミュニティ・ツーリズムのガイドは方言がいい。そのままでいいんです。そして、ヒストリーではなくライフを語る。本に書かれてることはテープでもいいんですよ。そうではなくて、ガイドのパーソナリティやキャラクターを出して欲しい。まちは舞台、ガイドが主人公。例えば住吉大社で「神功皇后が・・・」というのがヒストリーですけども「夏ここで蝉捕ってましたわ。」というのがライフ。まちとの関係、まちの人との関係を提示することで、まちが身近になってくる。コミュニティ・ツーリズムのガイドは生まれ育った町を案内します。他のエリアのガイドはできないんです。」

 

あの店のあの人に会いたいというのがヒューマンウェア観光。

 

コミュニティ・ツーリズムが注目されるきっかけとなったのは阪神淡路大震災だといわれているそうです。神戸の人たちはある日突然まちが消えてしまいました。何をしたかというと、まず記憶を再現するマップ作りを始めたのです。歩いて、そこに何があったのかを確認する。陸奥さんは2006年に神戸の新開地ツアーに参加しました。それが「まち歩き」との出会い。コミュニティ・ツーリズムの可能性を感じたと言います。

 

実際の地図も手元にっ配られた。

 

最後の質疑応答でガイドをみつけるコツを訊かれた陸奥さんはこんな風に答えました。「出会い頭に全員にお願いしました。選ぶ時間がなかったということもありますが、誰にでもできるんです。あなたにとってのまちは何ですかということ。歴史を語るのは難しい。でもライフなら人によって全然違う。その人なりのライフがある。嫁に来た人には嫁に来た人なりの話。それが面白いんですね。」

 

質疑応答でも内容の濃い事例紹介が続いた。

 

コミュニティ・ツーリズムが注目された大きなきっかけが「阪神淡路大震災」であったということは大変に象徴的でした。これから私たちは2つのグループに分かれ、震災後7年経過したこのまちで実際にツアーを作っていくことになります。開催は2~3月頃の予定です。どうぞお楽しみに。

 

レポート:潮目文化アーカイブ班 江尻浩二郎