今年行われた、いわき潮目劇場のプログラムに、まちなかや、地域の施設に「こたつ」を出して対話するという一風変わった企画が行われています。企画するのは、小名浜在住の小松理虔さん。なぜ「こたつ」なのか。その「こたつ」が地域に何をもたらすのか。潮目とこたつの不思議な関係についてお話を伺ってきました。
聞き手・構成:小宅 優美
実行委員メンバーインタビュー
小松 理虔 さん
潮目に暮らす「最果ての民」からの発信
―「こたつで潮目計画」は、今回初めておこなう企画だそうですね。
小松:潮目っていうテーマをいただいた時、「食」の小さな企画をやりたいなと思って。それから、自分がもともと、街中にハプニングの状態をつくるっていうのが好きで。公共空間に超私的な空間をつくることで、公(おおやけ)と私(わたくし)に線引きされた空間を、ちょっとずらすことができたらいいなという思いもありました。
そういうイベントをやろうと思った時に、こたつが、突然、街中に現れて私的な空間を創り出したら面白いんじゃないかと。こたつにいる人は、そこでお酒を飲んだり魚を食べたりしているけど、通りがかった人は、それがイベントなのか演劇なのか、よく分からないし、「あれ何だろう?」って思うでしょ?この企画を通して、日々の暮らしの中に、公と私の潮目をつくったり、観客と演者の潮目をつくったりすることを、食をきっかけに創り出したいと思っています。
―「公と私」の潮目とはなんでしょうか?
小松:今の社会って、公共的な場所と自分の家の線がはっきりしているじゃないですか。昔は、縁側や土間があって、公共の空間と、物を生産する場所と、人が住む場所がゆるやかに連続していたと思うんですが、今は、そういうものが無くなってしまった。その結果、会社/自宅のように空間にはっきりと線が引かれてしまって、人々のコミュニケーションが無くなってしまったと思うんです。
ぼくは、その線引きをちょっとずらしてみたい。ただし、人々のコミュニケーションを生みだすために、最初から公民館をつくるっていうのではないんです。人々が自由に集って、公なのか私なのか分からない空間が社会にはみ出すことによって、新しい公共性を帯びた物が生まれたら面白いなって。今まで、いわきで活動する中で、こういったことを考え、活動をしてきたので、今回の「こたつで潮目計画」もその延長上にありますね。
―今回は、それに加えて、「食」も意識されていますね。それはなぜなんでしょうか。
小松:ぼくにとって、こたつは「対話の場」なんです。そのこたつの上で、食が媒介になって対話が促進されていくというのが理想。人って、おいしいものを食べている時は幸せだし、幸せな時は人の話を聞くんですよね。今、福島県の食をめぐっては、様々な意見があって、異なる意見を「受け入れる」っていう以前の「受け止める」っていうことすら、難しい状況になっていると感じています。でも、おいしいものを食べて、お酒を飲んでいる時は、相手の話を聞いて、「違い」をポジティブに受け止められる精神状態になっている。その結果、「俺とお前は違うんだ」っていう、当たり前のことを、受け入れられるようになると思うんですよね。

―小松さんはこれまで、「海ラボ」や「さかなのば」といった、多面的に「食」に関わる活動をおこなってらっしゃいますよね。「違いを受け止める」という難しさは、そういった活動でもご経験があるんでしょうか。
小松:そうですね。原発事故を経て、異なるものや考えをどう受け止め、受け入れていくかが、社会全体で試されていると感じています。いわきはその課題の最前線です。今ってなんでも「賛成か反対か」といった議論になってしまう。すぐ「どっちなんだよ」って言って、あいまいな立場を許さないでしょう。一度、陣営が決まると、相手が言ったことを全て批判する文脈でしか捉えられなくなってしまう。今まで自分が常識だと思ってきたものと異なる価値観や、捉え方を持っている人と接する機会が少ない社会で、ぼく自身も「なんで分かりあえないんだろう」、「なんで尊重しあえないんだろう」っていうことを感じてきました。
―そこに、今回はこたつというキーアイテムが登場するのですね。
小松:今こそ、二元論的な議論を解きほぐしていく文化的な試みが社会には必要なんだと思います。「こたつで潮目計画」はその試みの1つで、「どっちかに分けてしまうのって、なんだかつまらないよね」っていうことを体験する場になると思っています。「ああ、こういう人がいるんだな」、「この人はこう考えているんだな」っていうことを感じる場をつくっていく。多様な受け止め方を、まずは担保するような企画があるといいんじゃないかなと。
―昨年10月のオープニングイベントでは、いわき駅前という場所柄、高校生も多く見学していましたね。彼らのような若者に対するメッセージはありますか。
小松:夕方の駅前って間違いなく、高校生の目に入る。いわき駅前のイベントはこれも狙っていました。イベントを聞こうと思ってきた人じゃなくて、たまたま参加してしまうっていうのがミソです。「なんかつまんねぇな」と思っていた高校生が、イベントに偶然参加してみたら、「おもしろい」って思えるようなことを創っていくのが文化事業の意味だと考えています。
若いうちから、一人一人の心の中に深く突き刺さるものを体験できるっていうのが、すごく大事だと考えています。いわきには、そういう体験がありそうで、ない。実際にはあるかもしれないけど見える状態になっていないと思います。若い人には、そういう心を動かされる場に参加して欲しいですね。そして、真面目に地域のことを考えることも大切だけど、悪ふざけしながら地域と関わって人生を楽しんでいる大人もいるんだっていうような、色々な選択肢を伝えていきたい。ぼくたちの活動を見て「いわきって捨てたもんじゃない」とか、「こんな風に過ごせたらいいな」って思ってもらえたらいいですね。

―今後の「こたつで潮目計画」の計画はどのようなものでしょうか。
小松:12月に第2回目を開催したので、今年度中にあと4回ぐらいやりたいですね。いわき市内で、食やアートに関わってきた方をでストに呼んで、濃密な対話の時間を創りたいと思っています。
―頻繁に開催するんですね。
小松:月に一度は、市内のどこかにこたつを出したいと思っています。しかも、直前になって告知をするようなスタンスでやっていきたいです。その結果、参加者が10人とか20人とか、1人でも2人でも構わない。そういうことを続けていくということの方が重要だと思っています。何百万とお金をかけなくても、こたつが1つ公共空間にあるだけでこんなに価値のある時間が創れるんですよっていうことを示したいですね。
―どういう場づくりをしていきたいですか?
小松:こたつを利用したイベントは、実は全国各地に前例があって。ぼくは、そういう他の企画をまねして、地域にあわせてローカライズさせるのが、得意だし、好きなんです。世の中に流通しているすばらしいアイディアは使わせてもらったらいいじゃんというタイプなんですよね。ローカライズさせてみると、その中から地域独自のオリジナリティがでてくる。福島で言えば、さっき言ったような二分化された議論とこたつを組み合わせて場を設計していくと面白いんじゃないかなって。どっしりと構えて、ゆっくり対話する場を創っていきたいですね。
―「こたつで潮目計画」の企画は、「芸術」という側面を押し出すアートプロジェクトとは異なっているような印象を受けます。
小松:今回の「潮目劇場」の事業は、地域ですでに何か活動をしている人たちが企画者になっているのが特徴だと思っています。つまり、アートディレクターがいて、外からアーティストが入ってきて、プロジェクトが終わったら帰るようなアートプロジェクトではない。プロジェクトの担い手それぞれが、これまでも活動してきた好きな事を持ち寄って、それが企画の中に活きているんです。
そうすると、潮目劇場の中でのぼくの役割は、社会派な立場から企画を立てることだと思っていて。だから、「こたつで潮目計画」は、芸術という側面よりはコミュニティ・デザインに近い企画だと思います。芸術というような企画者もいればぼくのような企画者もいてカオス。でもこれが、まさにいわきらしいと思います。
|潮目の線を引く
―小松さんにとって、「潮目」とは?
小松:最初に「潮目」という言葉を聞いた時は、「ゆるやかな対話の場」とか「立場の違いを超えていく事ができる場」というイメージをもっていました。潮目では、現在と過去とか、アナログとデジタルというような、色々なものが混ざりあっていて、しかも、そのようなごちゃごちゃに混ざりあった場所こそが豊かだ、という印象がありましたね。
―それは今とは異なるイメージなんでしょうか?
小松:今は「ごちゃごちゃになってしまったのは、何と何がぶつかりあった結果なのか」という事を見極めていく作業をしてみたいと思っています。ごちゃごちゃな状況を因数分解するため、あえて線を引く作業をしてみると違った視点でいわきを見られるのではないかと。

―線を引く作業?
小松:ある流れと流れがぶつかる場所をみると、その場所はそれぞれにとって最果てになりますよね。ただ、その「最果て」という言葉は、見方を変えると「最前線」という言葉にも変わると思うんです。「最果て」として見るか、「最前線」として見るかで潮目のイメージは大きく変わってくる。
今は、「最前線」としての潮目と考えたほうが面白いですね。例えば、いわきには東北らしさがないと自虐的に考えるんじゃなくて、北からの流れが持つ東北らしさと、南からの関東らしさが流れ着いてぶつかることでいわき独自のものが生まれるという考え方もできますよね。そんな中で残ったものって、すごいことだなと。線を引くという作業は、その残ったものの源流を見つけ出すことです。その作業を通して「いわきって実は豊かな場所なんだよ」という事が伝えられるといいなと思います。
―今回の「潮目劇場」の企画のそれぞれが、まさに線をひいていく作業になっているのですね。小松さんが考える、今回の「潮目劇場」のゴールはありますか?
小松:それは、東北でもない、関東でもない「最果ての民」の俺達しか発信できないものを発信できる状態にしていくという事かな。つまり、東京に憧れたり、東北にコンプレックスを抱いたりするのではなく、いわき独自の、文化的な多様性が根付いていたり、対話の機会が様々にある地域を創っていく事だと思っています。
難しいことはたくさんあるんだろうけど。でも、そういう難しい地域だからこそ第3極になれると思っています。東北でも関東でもない、どちらでもない存在なんだと自分たちが気づくことで、二元論的な議論に陥らないですむようなオルタナティブな物を提示できる存在になれると思うんです。反対か賛成か、どちらかの立場を表明するのではなく、別の第3の道を提示できる地域がいわきだと思っています。
―オルタナティブの意義や意味を、いわきから発信していくということでしょうか?
小松:そう。それを形にしていきたいですね。それが、いわきの文化になっていくと思います。例えば、いわきの民はファシリテーターになれるというのが文化になればいいですよね。「最果ての地という土地柄、いわきの民は色んな人に話を聞けるという土壌があるんです」とか。学校教育の中なんかでも、賛成・反対とはっきり分かれるディベートではなく、むしろ双方の対話を進めるファシリテーションのテクニックを身につけさせる授業が、いわき独自にあったりすると面白いなと思います。
プロフィール:小松理虔(こまつ・りけん)
フリーライター。福島県いわき市小名浜を拠点にオルタナティブスペース「UDOK.」の主宰、福島第一原発沖海洋調査プロジェクト「うみラボ」など、さまざまな企画・情報発信に携わる。共著本に『常磐線中心主義』(河出書房新社)など。