インタビュー:高木市之助さん

 

インタビュー:高木市之助さん

 

小名浜を舞台に繰り広げられる「小名浜本町通り芸術祭」。2017年には、今年1月にたくさんの人々に惜しまれながら閉店したショッピングセンター「タウンモール・リスポ」を会場に、地元に密着した芸術祭が開催されました。その芸術祭を2013年の初回から先導して来たのが、髙木市之助さん。「なんだ、これ」と思わず足を止めてしまうようなイベントを数多く企画してきた髙木さんに、お話をうかがいました。

 

―小名浜本町通り芸術祭について

 

Q:2017年で5年目を迎えた小名浜本町通り芸術祭ですが、始まったきっかけは何だったのでしょうか。

A:震災後、僕はクリエイティブなことで地域貢献したいと思い、小名浜にあるオルタナティブスペース「UDOK.」を制作の拠点にして活動していました。当時は震災直後ということもあって、市内外から色々なものづくりをする方が集まっていました。ある時、当時行われていたワークショップや個人的な作品をUDOK.のシャッターに展示してみたところ、近くにあるバス停でバスを待っている人たちが、けっこう見ていて。そこで、「あれ、これ、シャッターをギャラリーにできるぞ」と思いました。

Q:なるほど。UDOK.のシャッターの展示が始まりのきっかけだったんですね。

A:はい。これをきっかけに、色々なワークショップでできた作品や、個人の作品を、大々的に通りに展示できたら面白いなと考え始めました。それで、UDOK.がある本町通りのお店に協力をしていただき、2013年の第1回につながりました。

Q:第1回目の小名浜本町通り芸術祭はどのようなイベントになりましたか。

A:その頃はまだ、建物が解体された後の空き地が目立っていた時期でした。そこで、そのような空き地と、日曜日でお店がお休みの店舗のシャッターをお借りして開催しました。初めての年は、小名浜にゆかりのある作家やアーティストがたくさんいらして、色々な形で作品を展示してもらったんですね。この点が初年度の大きな特徴です。

Q:1回目からこれまで、引き継がれているコンセプトはありますか。

A:2013年から変わらない基本コンセプトは、自分たちが日常の延長でやっていることを、小名浜の町に展示するということです。僕たちは、大きな芸術祭を小名浜に呼んでくるというのではなく、自分たちの日常の延長として芸術祭を位置付けたいと思ってやってきました。この5年間、年を増すごとにそういうDIYという雰囲気が増えて来たと思いますね。

 

第1回小名浜本町通り芸術祭で作家を見守る高木さん(写真右)

 

Q:「芸術家がいない芸術祭」というコピーがありますが、出展される方はどのような方が多いですか?

A:皆それぞれですが、ワークショップを企画している方でいうと、クリエイティブなことを専業にしている方は、2013年当時は、まだいなかったかな。お昼働いて夜集まるという感じです。例えば、写真が好きな方が、UDOK.で写真のワークショップを開催したり、僕がラップの企画を立ち上げたり。そういう、それぞれが自主的にやっている企画を、年に一度の芸術祭で展示している形です。

Q:そうすると、年1回、10月にむけて皆さんが活動を進めていくという流れができあがっているんですね。

A:そうですね。よくも悪くも「芸術祭にむけて、何かやるぞ」っていう流れになっています。強制的にやるものではないので、その年ごとの状況で展示のボリュームは変わっていますね。あと、メンバーも流動的です。引っ越しでいわきを離れたり、または新たにメンバーが増えたりと。「実行委員」とは言うものの、本当にゆるいつながりです。年代に幅がありますが、簡単に言うと友達の集まりです。

 

―芸術祭が小名浜にもたらしたもの

 

Q:昨年10月に小名浜のリスポで開催された小名浜本町通り芸術祭では、老若男女、さまざまな方が訪れていたのが印象的でした。

A:そうなんです、それがすごくやりたかったことの一つで。ミスマッチで揺さ振ることがしたいんですよ。

Q:揺さ振る?

A:例えば、美術館やライブハウスなどには、当然ながら展示や公演に興味がある人しか集まらない。でも、ちょっと軸をずらして、公園でライブをしてみたり、ショッピングセンターの中に作品を展示すると、思わぬ出会いや反応が起こることがあるんです。一見、ミスマッチに思えるようなものを組み合わせると何が起きるんだろう、っていうことを常に意識していますね。

 

ストリートから始まった高木さんの創作。そこに「潮目」があります。

 

Q:イベントのタイトルからわかるように、小名浜という地域にこだわって芸術祭をされていますよね。髙木さんは、どのようなことを意識して地域と関わっていらっしゃいますか。

A:僕は、地元が面白くないと思って、外に出ていったタイプなんです。ですが、クリエイティブなことをもっと地元に持ち込みたいと思っていました。東京にいた時は、数百人規模の大きなクラブなどでVJをやっていたんですね。いわきにはそのようなクラブカルチャーはないですが、このスキルと、地域の両方を活かした、新しい何かができそうだということは、ぼんやりと思っていました。

Q:そういう思いが小名浜本町通り芸術祭には反映されているんですね。

A:そうです。「田舎だから面白くない」とか「面白いことができない」ということを逆手にとって、「あえて小名浜でやる」ということを意識してやってます。

Q:活動を通して、小名浜の町が変わったなと思うことはありますか。

A:う〜ん、わかりません(笑)。ただ、自分たちがやってきたことを、これまで接点のなかったような年代の方や町の方に、理解していただけてきたなとは思います。その上で、一緒に何かやろうと声をかけていただくのは嬉しいですね。今回、リスポが閉店するということで、リスポの方から声をかけていただいて、閉館イベントをプロデュースさせていただきました。このような地域の方々との関係性は、間違いなく、芸術祭から生まれたものだと思います。

Q:これからの小名浜本町通り芸術祭は、どうなっていったらいいなと思いますか。

A:気持ちは続けたいんですけどね。始めた時は、10年続けたいと言っていたんです。何にもないと思った町だけど、10年やれば何か変わるんじゃないかなって思ったんですね。それで今、ちょうど半分が過ぎました。小名浜本町通り芸術祭だけじゃなくて、様々な活動が小名浜で生まれています。そういうのを見ていると、震災前に僕が小名浜に感じていた停滞感はもうないですね。それから、僕は、芸術祭の実行委員を組織しないでやりたいんですよね。というのは、この芸術祭は補助金などに頼らずに、自分たちの範囲の中でやりたいっていう思いがあって。「明日、ミーティングだから絶対きてください」とか、そういうことはやりたくない。友達が好きに集まって自然に実行していく感覚を大事にしたい。ただ、規模が大きくなってきて、やることが増えてきて…。去年は、体力的に厳しいなって本気で思っちゃいました(笑)。ま、毎年、「今年でやめよう」と思っているんですけどね。来年もやってるかもしれない。何にせよ、始まった当初から大事にしている「日常の延長でやっていく」ということは、これからも大事にしていきたいです。要するに無理はしない(笑)。

 

—「潮目」を生み出す風土

 

Q:髙木さんはいわきへUターンされたということですが、いわきだからこそできること、というのは活動を通して感じていますか。

A:東京はいい意味で無関心な街じゃないですか。例えば、公園でラップをやっていても、興味のない人はスルーするからそんなに浮かないし、そのそも公園で音楽やっている人自体も結構多いし。じゃあ、いわきでやったらどうなるか。いわきの場合、すごく許容してくれると感じています。だから、いわきでラップをやったら、「ラップなんか分かんねから、聞かねんだ」っていうのではなく、意外と「なんかあれ、面白い」って反応してくれる。一度、自分たちがつくったラップを、リスポの館内放送で流したんですよ。小名浜をテーマにしたラップなんですけどね。こういう対応してもらえるのは、小名浜らしいなと思いましたね。

Q:見知らぬものを受け入れることで生まれる、いわきらしさがあるということでしょうか。

A:そうですね。もともと、見知らぬものを許容しやすい人たちなんだと思います。それこそ、歴史を辿れば、常磐炭鉱とか小名浜の工業地帯とか、外からたくさん人がきて働いていましたよね。幼い頃、実家が下宿屋で、近所の工場に勤める人が宿泊してました。一緒に朝ごはん食べたりして。外の人を受け入れて来た歴史を、少なからず体感しています。そういう土壌があるからこそ、「若いやつが何か変なことをやってるな」って止まってしまうんじゃなくて、町の商店会の人たちも「何かあったら協力するぞ!」って言ってくれてるんだと思います。まぁ、みんながみんなではないにしても、話してみるとかなり協力的だし親身です。門前払いはほぼないですね。

 

自身がプロデューサー/ラッパーとして関わった作品「RESPO」のミュージッククリップより

 

Q:まさに「潮目」というキーワードにもつながるお話だと思うのですが、髙木さんにとって、「潮目」というものはどのような意味をもつのでしょうか。

A:いわきという地域は、暖流と寒流、東北と関東、などなど、たくさんのものがぶつかりあう「潮目」ですよね。「潮目」という言葉は色々なものが含まれていると思います。大切なことは、そういう潮目の土壌を、歴史や文化という側面から、地域の人が考えてみることだと思います。帰郷した時、僕は地元のことをほとんど知らないという状態でした。しかし、地域の人が自分の地元にプライドをもつことがとても大事。そのためには、地域の人が自ら、地域に眠っている魅力や歴史に気づいて、共有していくところから始めていかないといけない。

Q:それは、昨年の小名浜本町通り芸術祭では、「学歩(まなぼ)」というイベントに象徴されているように思います。

A:そうですね。僕も含めて、多分多くの人が街の歴史を知らないんだろうなと思い、小名浜の町を歩く「学歩」という企画につながりました。こういった活動を通して、地元の誇りを地域に取り戻すような活動をやりたいですね。最初は単なる町歩き的な構想だったんですが、けっこう長い距離を歩くんですよ。それで、「じゃ、ウォーキングにしちゃえばいいじゃん」と(笑)。

Q:なるほど。「歩く」ということもイベントのメインなんですね(笑)。

A:そうですね。「町歩き」だけだと埋もれやすいというか。さっきも言ったように、引っかかりを付けたいんですよね。「町歩きと○○」となった時に、一瞬「なんだ、これ」って引っかかる。この「なんだ、これ」っていう感覚を盛り込むことは、僕が企画を作る時の一つのメソッドになっています。「髙木メソッド」ですね(笑)。そういう考えもあって、町歩きと「割とハードな距離を歩きますよ」というウォーキングを合体させました。「学ぶと歩く」で「学歩(まなぼ)」。結果ポップな感じになりました(笑)。

Q:小名浜という「潮目の土壌」を中心に活動をおこなってきた髙木さんですが、今後はどのような活動をされていきたいですか。

A:社会の中にある息苦しさとか、不満を共有できるような場がないとか、色々な課題を感じています。そういうことも、日常の延長の中で自然に、課題にアプローチできる機会や場所ができてくればいいなと思っています。「自然と始まって、自然とこうなりました」っていうのが理想です。そういう活動をしつつ、僕自身は、これからも楽しく過ごしていきたいですね。「なにこれ、おもしろそう」って思ってもらえるようなことをやれたら最高です。

 

聞き手・構成:潮目劇場アーカイブ班 小宅優美

 

プロフィール:高木市之助(たかぎ・いちのすけ)

グラフィックデザイナー/プランナー。小名浜本町通り芸術祭実行委員長。フクシノワ共同主宰。オナハマリリックパンチライン首謀者。グラフィックデザイン、映像制作・演出(VJ、小規模のプロジェクションマッピング)、イラストレーション、企画などをフリーランスで行う。2010年、かまぼこ製造会社貴千に入社。企画開発室長として商品のパッケージデザイン(さんまのぽーぽー焼風かまぼこ、かつおのたたき風かまぼこ、ボーノ棒など)、ウェブサイトのデザイン(ネットショップ運営も担当)、紙もののデザインなどに携わる。2011年より、地元である小名浜という町を題材にアート企画を行う活動を開始しました。『サステナブルなカルチャーを小名浜に!』をスローガンに掲げ、OAM(小名浜アート盛りつける)というプロジェクトを主宰し、「まちあるき+スケッチ」の『小名浜の景観をスケッチに出かけよう写生会』、「まちあるき+リリック」の『オナハマリリックパンチライン』などのワークショップを開催している。