風を結晶させた陶芸家・緑川宏樹といわき現代美術の系譜

2017年で4回目となる「いわきまちなかアートフェスティバル玄玄天」。いわき駅前の商店街を中心に現代美術を展示する芸術祭だが、この中のあるイベントが注目されている。「いわき現代美術の系譜」というトークイベントだ。

いわきの現代美術の黎明期の先人たちの足跡について、当時を知る人たちが語ってもらい、次世代へと引き継いで行こうという試みだ。2016年は画家で、いわき市民ギャラリー運動の中心的存在だった松田松雄を振り返った。そして2017年は陶芸家で、同じく市民ギャラリーの中心にいた故・緑川宏樹さんについて。玄玄天の会場でもあるもりたか屋で、彼の作品を眺めながら、彼を直接知る人たちが語った。

 

 

1人目は織田好孝さん。緑川宏樹を支える後援組織「陶友会」を設立し、物心両面で緑川さんを支えた人だ。

「前衛陶芸は、評価が高くても売れない。生活は苦しかったんですね。背に腹は変えられないということで、皿やカップを作り始めた。でも、楽しんで作ってない。作れば作るほど、つらそうだった。そこで、余計なこととは思いながら、頒布会を兼ねた後援会を作ったんです」

後援会は100人ほどの組織になったという。月会費を徴収し、年1回の頒布会で緑川の作品を手に入れる。シンプルだが画期的だ。これが、緑川さんの独創的な作品群の原資になったそうだ。

陶友会は、こうした活動だけではなく、緑川さんとともに多くの展覧会も企画した。東京や京都などの個展のほか、緑川さんと親友だった漫画家・永島慎二さんとの二人展も陶友会が企画した。その他、フォークシンガーの友部正人さんや、劇団黒テントとともに展覧会をやったこともあるそうだ。かなり刺激的な組み合わせである。

 

 

つづいて、登壇したのは陶芸家で玄玄天参加作家でもある新谷辰夫さん。新谷さんは、緑川さんとともに、いわき陶芸家集団を結成。これが現在も続くいわき陶芸協会の母体となった。いわきの陶芸家たちをまとめたのも、緑川さんの大きな功績である。その経緯や当時の雰囲気などが語られた。

「市美展に陶芸の部を作りたかったんですね。そのためには実績が必要ということで、いわきの陶芸家たちに声をかけて、文化センターの1階でグループ展をやったんです。最初は春と秋、2回もやりました。それぞれ、手法や雰囲気が違う陶芸だったので、すごく面白い展覧会になりました」

その後、陶芸家集団は陶芸協会となり、会長に緑川さんが就任。展覧会の実績をもって、市美展に陶芸の部を新設するよう市長に陳情。1995年の市美展から、写真の部とともに市美展に加わって、現在に至る。

第二部では、吉田隆治さん、吉田重信さんを加え、パネルディスカッションの形式で作品を作り出すまでの経緯や緑川の人柄などが話題となった。出席者の中には、緑川さんを直接知る人も多く、終盤にはそれぞれが思い出などを思い思いに発言。緑川さんのいろいろな面が明らかになると同時に、会場は故人を偲ぶ、やさしい雰囲気に包まれた。

 

 

そんな緑川さんを振り返る今回の試みは、同時に、これから彼について、私たちがどうしていくべきかということを明らかにした、新しいスタートとなる取り組みともなった。出席者からは「どうにかして、かつての陶友会を中心に回顧展ができないものか」とか、「緑川さんにはお墓がない。これだけの功績のある人なのだから、有志で建てられないだろうか」といった、具体的な話も飛び出した。

土で風を結晶させ、陶器の紙ヒコーキを折り、水がこぼれる器を作った緑川さん。その作品が与えた衝撃も去ることながら、陶芸という文化そのものを根付かせた功績は計り知れない。いわきで陶芸に親しむということは、必ず緑川さんが切り拓いた道の上にいるといってもいい。

彼をどう顕彰していくか、それはいわきの陶芸、あるいはアートとどう向き合っていくかということとも関わってくる話なのだ。先人の歩んだ道を振り返ることは、自分たちの歩く道の道しるべになるのだということを改めて思うシンポジウムだった。

※緑川宏樹……1938年東京生まれ。京都で前衛陶芸家集団の走泥社の同人となった後、いわきに移住。いわきでは「裂」や「風は結晶する」など、前衛的で野心的な作品を発表する傍ら、市民ギャラリー運動やいわき陶芸協会などを設立し、いわきの芸術の底上げに尽力した。2010年没。

報告:潮目文化アーカイブ班 木田修作