レポート:JOBAN ARTMINE

11月3、4日、いわき潮目文化共創都市づくり推進実行委員会は、いわきの常磐・内郷地区を舞台にした、新しい地域発見のためのプログラム「JOBAN ARTMINE 〜アートで掘り出す黒ダイヤ〜」を開催しました。いわき市平のアートプロジェクト「玄玄天」とのコラボ企画です。一言で言えば、タイトル通り。とにかく「掘り起こす」2日間でした。

目の前の風景はもちろんのこと、地底まで掘り進んでいきました。あるいは、遠く離れた九州や北海道の産炭地の歴史。そして最後は自分自身まで……。深く、深く、深く掘り起こしていきました。常磐・内郷地区といえば、かつて常磐炭田のあった場所。ここに残された有形無形の遺産を使って、アーティストとともに様々な企画を通じて、町を再発見するという試みです。その模様についてレポートします。

 

國盛麻衣佳さん

 

ゲストとして招かれたのは、福岡・大牟田市出身のアーティスト、國盛麻衣佳さん。大牟田市といえば、かの三井三池炭鉱があったところです。「炭鉱と美術」をテーマとし、旧産炭地で生まれた文化の再評価を美術活動と研究の両方から行なっています。これまで、国内外の旧産炭地から得た石炭などを素材とした画材を使って、作品制作やワークショップを行ってきた方です。

 

炭鉱を知る人たちに導かれてまちを歩く
(写真提供:白圡亮次)

 

初日はまちあるきから始まりました。朝9時、内郷駅に集合すると、國盛さんとともに迎えてくれたいわきヘリテージツーリズム協議会の菅野昭夫さん、常磐炭田史研究会の馬目太一さんたちでした。炭鉱というものを、実際に知っている人たちです。

案内人のお話に導かれながら、かつての炭鉱跡をどこまでも歩きます。普段は通り過ぎてしまうような風景が、一つひとつ、炭鉱という営みがあった場所として、意味を持っていきました。知識や歴史でしかなかった常磐炭鉱が、ありありと目の前に広がっていきました。

 

かつての炭鉱跡といまの風景を比べる
(写真提供:白圡亮次)

 

今回歩いたのは距離にして9km、時間にして約3時間の道程でしたが、果たして私たちは、このまちあるきで、私たちはどれほど深くて長いの歴史の上を歩いてきたのだろう、と思わざるを得ませんでした。

夜は、湯本の温泉旅館「元禄彩雅宿古滝屋」へ。「炭鉱と美術〜旧産炭地における美術の可能性〜」と題した國盛さんのトークイベントです。炭鉱と美術という、一見すると遠いように感じるテーマですが、炭鉱には美術の作り手が少なくありませんでした。炭鉱の過酷な実態を伝える目的の記録画や、一山一家の強い連帯感のもとに発達したサークル活動など、炭鉱と美術は決して縁遠いものではなかったそうです。

 

炭鉱と美術についてのトーク

 

とはいえ、過酷な労働と極度の緊張状態にあっただろう炭鉱の労働者。どこにそんな余裕があったんだろうと思わずにはいられませんでした。スライドで映し出される一枚一枚の絵に、労働者が持っていたであろう表現への強い意志、渇望のといったものを強く感じました。

エネルギー革命とともに、時期や程度の違いこそあれ、等しく衰退していった産炭地ですが、実は、アートを巡って意外な一面があったそうです。それは、アートプロジェクトがかなり早い時期から始まっていたということです。現在でこそ、全国の様々な場所で行われているアートプロジェクトですが、産炭地の場合は、90年代から始まっています。宇部市で行われているUBEビエンナーレは1961年から続いています。

 

 

講演の終盤、産炭地の美術について、國盛さんは次のように指摘しました。

「産炭地は、近代産業によってコミュニティ形成が促され、産業の喪失は地域コミュニティの解体に直接的に関係していました。そのような中で、芸術文化は地域に対する愛着や矜持の醸成に寄与し、地域との関係性を築き直す行為が、独自の表現活動を生み出していきました」

「旧産炭地が、旧来の資本主義的・拡大主義的ではない回復・克服・再生を模索した結果、先駆的な芸術文化を生み出しました。これらは今日のアートプロジェクトや創造都市政策の基礎形成に寄与しました」

産業の衰退が、街やコミュニティの衰退とほぼ同義だった産炭地にとって、アートプロジェクトは自分たちの街を見つめ直すきっかけと言えます。

 

こうして炭鉱について脚と頭をフル回転した1日目は終わりました。

続く2日目は手を使うワークショップとなりました。場所はいわき市考古資料館の体験学習室。「COAL PAINT WORKSHOP 〜いわきとわたし、わたしといわき〜」と題されたワークショップ。石炭を使って絵の具を作り、その絵の具で絵を描きながら、自分と向き合うようなワークショップとなりました。

 

使う画材は石炭

 

 

絵を描く前に、國盛さんが自身の制作活動やこれまでの来歴についてお話しました。ひいおじいさんとおじいさんが三井三池炭鉱で働いていたという國盛さん。小学6年生のときに、炭鉱が閉山します。人口は最盛期の半分にまで減少し、街が衰退していくのを目の当たりにします。

「なぜこんなに衰退ばかりの汚い場所に生まれたんだろう。嫌で嫌で仕方なかった」

大牟田という街が、國盛さんにとってはコンプレックスだったそうです。それを振り払うように、市外の高校へと通い、大学は東京の美術大学へと進学しました。大学では洋画を専攻。初めは自分の好きなものを中心に描いていました。転機となったのは、個人的な人間関係のトラブルがきっかけでした。そのトラブルをもとにした作品を発表します。

「作品を作ることで、自分のむしゃくしゃすることをすっきりさせることができるかもしれない」という考えに至ります。自分の持つコンプレックスを制作を通じて、作品として昇華させていく。こうして國盛さんは制作にのめり込んでいきました。そこで、ふと気付きます。

「自分の地元、めちゃくちゃ嫌だったな……」

國盛さんにとって、故郷の大牟田もまた、コンプレックスの一つだったのです。こうして、國盛さんの中で、炭鉱が制作や研究の題材となりました。最後に、ワークショップに参加した中学生に、こう呼びかけました。

「自分にあったことは変わらないけれども、作品を作ることで変わることがあるかもしれない。私は炭鉱の街が嫌だったけども、炭鉱の歴史を知って出て行くのと、そうでないのは違う。生まれ育った地域と、自分の表現というのは、関係しているんだなと思います」

こうして始まったワークショップ。常磐炭鉱の石炭に加え、北海道と大牟田のものが用意されました。この石炭を溶剤で溶いて作った絵具を使い「自分」を描いていきます。

 

石炭で表現する自分

 

 

自画像や自分が大切にしているもの、風景、人……。思い思いに、3色の絵具を使い分けながら、描いていきました。何千年という時を経て作られた石炭を使い、自分と向き合うワークショップ。その土地の歴史を使って、自分を表現するという何とも贅沢な制作だったと思います。それでいて筆で絵を描くという経験自体すごく久しぶりで、あっという間に時間が過ぎていきました。

 

写真提供:白土亮次

 

黒いダイヤと呼ばれた時代から、エネルギー構造の転換という、大きすぎる時代の変化に翻弄されてきた産炭地。その産炭地が衰退とどう向き合い、まちを見つめ直してきたか。その際に用いられたアートプロジェクトは、昨今のものよりももっと切実で、切迫した状況の上に発展してきたといえるかもしれません。

産炭地の経験は、3.11後のいわきや福島、東北を考える際にも、大きなヒントになりそうです。いわきがいま抱えている課題の多くは、産炭地としてすでに経験していて、実は克服してきたものもあるのではないかとすら思いました。産炭地としてのいわきを掘り起こすことは、これからのいわきを考える際に有効なのかもしれません。

報告:潮目文化アーカイブ班 木田修作